2020年

24年ぶりの野村義男名義のソロアルバム「440Hz with〈Life of Joy〉」発売までたどり着けました。
やっとたどり着けた感満載です。
50歳の記念アルバムを作ろうと思い立ったのが7年前でした。
そこからレコーディングを始めたんだけど、メンバーやスタジオのスケジュール等でなかなか前に進めないまま、数曲のレコーディングで50歳を迎えてしまった状態。
もはや、完成しないアルバムかもって思ったりもしましたが、それまでに参加してくれた何人かのミュージシャンに完成させなければ、会わす顔が無い。
もう、何年かかってでもCDにしなければ。
そう、参加、関わってくれた全員が、ここまでの僕の人生のファミリーだったんです。
メールだったり、電話だったり、直接だったり、アルバム参加のきっかけはバラバラでした。
ただ、同じなのは、全員ノーギャランティ。
僕のアルバムに音を入れるのに、今回はノーギャラで、快く参加してくれたメンバーと一緒に作ったアルバムです。
もう、最高なアルバムが完成しました。
タジオで演奏しに来てくれたミュージシャンは全員笑顔でした。
今日までギターを弾いて来て、これだけの素敵なミュージシャン達が周りに居て、参加してくれて、これ以上の幸せを求めるなんて贅沢すぎる7年でした。
大御所の先輩ミュージシャンから、同期、後輩、みんな野村義男に関わってくれる。
たぶん、日本一の幸せギターリストは僕です。もはや今後このアルバムを超える自信がないくらい、愛でいっぱいのアルバムが完成しました。
聞いてくれる皆さんにとって、初めての名前もあるかも知れません。
気にして下さい。調べて下さい。その人は僕の大切な人だから。
絶対にその初めての名前の人の音を、あなたは聞いた事があるはずです。
ミュージシャンってそう言う仕事かも知れません。
見えてる人と見えてない人、どちらも居ないと成立しないんです。
そのどちらも体験したら、仲間が増えてました。
僕にとっての宝物です。本当は、この倍以上の宝物の皆さんに参加して欲しかったのですが、そうしたら、CDが2枚組とかになりそうだったので、珠玉の12曲でまとめました。
ぜひ1曲目からの流れで、アルバムのドラマを楽しんで下さい。全曲、本気です。
是非、参加ミュージシャン達を検索して下さい。
日本中の音楽に引っかかります。
名前の知らないミュージシャンこそ、大好きなあの曲に参加してるかも知れません。
僕の大切な友達達をもっと知ってください。
調べて下さい。聞いてください。
僕にとっての宝物は、ギターでもお金でも無く、経験と繋がりでした。
本当に一生に一度作れるかのアルバム完成しました。
是非、楽しんでください。
アルバムの完成を知らずに亡くなったメンバーの分も大切にしました。
人間っていいな。音楽って凄いな。全ての曲が生きてます。ギター弾いてて良かった♡
アルバムに興味を持ってくれてありがとう。聞いてくれてありがとう。
今日までギターを弾かさせてくれてありがとう。かかわる全ての人に感謝。ありがとう。

2020年2月29日

2019年

連日の「気になるニュース」がネット等で流れる中、本日発表がありました。
本当に、もっともっと長く長く現場に出ていて欲しかったと思う反面、やっと、ゆっくり休めますね。とも思っちゃいました。お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。
僕にとっては、あなたの存在が今日までギターを弾かさせてくれました。
「本当にギターを弾きたいのなら、ジャンルも関係なくもっと色々な音楽を聴きなさい。」
「リズムが悪い。上手くなりたいのなら、フレーズよりも、まずはリズムを正しく、正確に刻める様にしないと、うるさいだけだよ。」
ギターの事については、本当にたくさん怒られました。
でも、1度も「ギター辞めちゃいなよ」とは言わなかったのは、今、思えば不思議でしたね。
歌って、踊れるタレントの卵たちの中で、歌えない、踊れない卵も捨てずにちゃんと見ていてくれた事、本当に「ありがとう」だけでは、返しきれません。
事務所を辞めた後にも、テレビ局やスタジオで偶然会うと、たくさん話しかけてくれましたね。本当に嬉しかったし、周りのメンバーにも自慢でしたよ。
あそこの事務所出で、ギターなんか弾けるの?音楽を作れるの?って言われ続けても、
とにかく事務所を辞めてからの二十数年間、ダメ元でぶつかって来ました。
それは「ダメ元=Youやっちゃいなよ」だったからです。本当にすごい人。
僕みたいに退所した人間までプロデュースし続けてるんです。
思い出だったり、言葉だったり、ここでは書ききれない事ばかりです。
僕を見つけてくれて本当にありがとうございました。
出逢えた事、本当に感謝しています。最後に話しをしたのは、3年くらい前でしたね。
あの時、スタジオに居た周りの人にいっぱい自慢してくれましたね。
「こちら、ギタリストのよっちゃん」って。本当にギター弾いてて良かった。
1つでも認めてもらえるものができた事が、僕の自信です。
僕を見つけてくれて、ありがとうございました。本当にありがとうございました。
もう少し、こっちでギター弾いてるんで、気になるリズムが悪い時があったら、叱りにきてくださいね。あと、いつまでも「Youやっちゃいなよ」は忘れずに居ますからね。
本当にジャニーズ事務所の子で良かった。
僕が小学校6年生の時に、ジャニーさんがスカウトしてくれた時に渡してくれた名刺、今でもずっと僕の机の上に、にパッケージして、毎日見えるようにしてあります。宝物ですから。
本当に長い間お疲れ様でした。もう、ゆっくりしてくださいね。心から感謝しています。
 

2019年7月9日

2018年

ザ・芸能界。
日本における「芸能界」と言う世界は、何十年と言う歴史を積み重ねてると思うのですが、
その中での「音楽」も、色々な人々の心を支えてきました。
その曲を聞くと、楽しかった時を思い出す曲。
その曲を聞くと、悲しくなる曲。
その曲を聞くと、幼少時代に戻れる曲。
その曲は、絶対に聞きたく無い曲。
僕はギターという楽器を演奏する人なので、どうしても、CDやレコード。ラジオを聞いても、「ギター」の音に耳が傾いてしまうのが、本音です。
そんなギター少年は、小学生の頃にギターと出会い、中学生でエレキギターを知り、高校生の時にバンドでデビューを果たします。
僕らの時代は洋楽が全盛期で新しいジャンルの音楽や、少しするとコンピューターが音楽に導入される様になった時代です。
もちろん、例に漏れず、僕もその時代の洋楽でたくさん勉強したのですが、
日本にも、たくさんの「ロック」の歴史があり、たくさんの「ミュージシャン」が、
心の奥のくすぐったい所の「音」を、奏でてきたのです。
日本におけるエレキギターの師は、誰が何を言おうと、寺内タケシさんであり、ジャンル問わず、全ての
プロミュージシャンの頂点だと思っています。
その寺内さんが開いてくれた門から、日本における、最初のバンドブームが始まったのではないかと。
'60年代初頭からジワジワと来た「GSブーム」。
僕が「音楽物心」が付いた頃には、すでに海外公演も果たした、スパイダースを始め、
タイガース、テンプターズ、ブルーコメッツ、オックス、カーナビーツ、ゴールデンカップス、ワイルドワンズ・・・。
星の数ほどある、グループサウンズの先輩ミュージシャン達が、名曲を奏でていました。
日本と言う国はブームが過ぎると、振り向きもしない方が多い様で、3〜40年同じ曲を聴き続ける人は少ないかと思います。
数々のバンドが解散して行く中、苦難を乗り越えて産まれたバンドが「PYG」でした。
もちろん、僕は後追いですが、すっごく夢中になりました。もちろん、今でも聴いています。
スパイダース、テンプターズ、タイガース、人気バンドのそれぞれのメンバーが集まって結成したバンドであります。
1971年結成で、シングル5枚、アルバム2枚を発表して自然消滅な、日本のスーパーバンドであります。
そんな PYG のリーダーが、ギターの井上尭之さんであります。
のちにテレビドラマの「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」「寺内貫太郎一家」「前略、おふくろ様」等々、
楽曲提供、そして、演奏してきたギタリストであります。もう、こんなギタリストは出てこないのかなぁ〜。
そう、日本国民の98%は尭之さんのギターのサウンドを聞いてるハズです。
僕がテレビに夢中の頃、沢田研二さんがテレビで歌ってる番組のバンドは
「井上尭之バンド」ってスーパーが入ってるものが殆どでした。
何度か、尭之さんと一緒ギターを弾ける機会があった時がありました。
もぉ~ね、大興奮で、尭之さんに、当時の音作りの話しや、ギターのフレーズを、根掘り葉掘り聞かせてもらった事があります。
それを丁寧に、ちゃんとアンプは何でギターは何で・・・。って教えてくれて・・・。
ヤバい、こんなに日本と言う国で、無意識ながらもみんなが聞いてるギターサウンドって、他に無いんじゃないかな?
って思ったら「人はサウンドを表す」って思っちゃって、
これ程までに歴史を残すサウンドを弾いて来たのに、日本一、謙虚で優しいギタリストのままなの。
僕もこんな優しいギタリストになれたら本望であります。
尭之さん、永遠なれ。今頃天国でムッシュと、あ〜でも無い、こ〜でも無いってやっててほしいなぁ〜。
尭之さんが残した日本ロックのDNAは、ちゃんと歴史を引き継いでいます。
安らかに。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
僕がどれだけ頑張っても、尭之さんの足元にも及びませんが、あの、サウンドを、人間臭い音を、お手本にギターを弾き続けて行きたいと思います。本当にギタリストになる事を選んで良かったです。
 

2018年5月