2005年

早いもので今年も残すところ「あと数日」まで来ました。
みなさんにとっては、どんな1年でしたか?
充実してた人も、もやもやしたままの人も、今年もいつの間にか終わっちゃうなぁ~。
と、色々な人がいると思いますが、それぞれの2005年を過ごしたことと思います。
えぇ~、僕もですねぇ~、2005年はこりゃまた忙しく過ごす事ができた幸せ者でごじゃいます。ありがとうございましたぁ~。
毎年の様に「マイペース」を唱えてる割には、とにかくツアーやライブをたくさんやってみせましたぁにゃぁ~(笑)
ちょっと調べたら、ライブは10アーチストで、77本やってますねぇ~。
だいたいね4日~5日に1回はライブしてる計算ですのぉ~。
もぉ~、そう考えると、凄いよねぇ~。数字だけでくたくたなんだけど、それをなんとかやってきた自分をほめてあげなきゃなぁ~。って思います。
特に9月以降の後半戦は”David Ralston BAND””三喜屋・野村モーター's BAND””
Chargebacks””GUILD 9””三野姫””U_WAVE””RIDER CHIPS””浜崎あゆみ”と、もう、てんこ盛りライブ三昧でしたにゃぁ~。曲を覚えるの大変にゃのよぉ~(汗)
でもね、思いおこせばギターを始めた頃に夢見ていた「ミュージシャンになって、色々な人達とライブをしたい」ってゆうのは叶えてる感じかなぁ。
とにかくギターに触ってられる仕事ができてる事を本当しあわせに思います。
ありがとうね♪
2006年もライブもたくさんやりたいし、近くに行ったらぜひ見に来てくださいですよぉ~
ではでは、2006年も「マイペース」で楽しく行きたいと思うので、よろしくお願いしますです~。

2005年12月

初めまして、今日から野村家に家族として、加わりました「のむらかえで」です。
まだ、病院とお家の中の世界だけしか知りませんが、わかった事が幾つかあります。
お家には、とてもがんばり屋のママ、とても優しいお姉ちゃん、ものすご~く甘えん坊の子犬、そして、いつでもスキあらば、ママの目を盗んで、ギターを買いに行っちゃうパパが居る事が確認できました。
さて、ここからは、そんなパパからのお話しです♪
11月1日、朝に2,660gの女の子が野村家の次女として、誕生しました。
名前は「かえで」です。
秋の時期に紅葉が人の心を和ませてくれる様に、この時期、綺麗な楓の木の様に、強く、優しく、明るい子に育って欲しいと思う願いを込めて命名しました。
10月31日は”RiderChips”Newアルバムのレコーディングだったのですが、その日はレコーディング作業を終えて、家に帰ったのは、夜中の11位だったんだと思うんだけど、夜中の3時頃に奥さんが「陣痛が始まったみたいだわぁ~」つて起きてきたから、そのまま一緒に病院へ。で、生まれたのは朝の8時過ぎだったんだけど、もぉ~大感動でしたぁ~。
「かえで」と初対面したのが、9時過ぎだったんだけど、思わず「はじめまして、パパです。」と、あいさつして、そこからはもぉ、そこいらのお父さんと一緒で、カメラにビデオ、携帯でも写真を撮って、この子の人生に関わる事になった事を自慢するかのごとく、写真を撮りましたねぇ~♪
でも、ご対面したのもつかの間、3時間後にはレコーディングでスタジオへ。
徹夜もなんのその、レコーディングが終わってからは病院の面会時間も、もちろん過ぎてて、しかも次の日からは”U_WAVE”のツアーの為、空港へ。
生まれてから、3時間位のご対面してから、次に会ったのは5日後だったりするんだけど、でも、1日でも後だったら、ず~っと会えないまま、僕はツアーへ。みたいになっていたかもしれない。と思えば、本当にタイミングも良く、誕生してくれたなぁ~。っと奥さん&かえでに感謝しておりますです。
それにしても、便利な時代で、毎日の様に奥さんからは写メールで「今日のかえでちゃん」をたくさん送ってもらってたので、あまり離れてる感もなくライブに集中できてたのは、現代技術にお礼を言わなくては。ありがとん♪
さて、退院して家に帰って来てから、心配といえば、突如として、妹ができたお姉ちゃんのほうの気持だったんですが、まったく心配する事もなく、とてもいい感じに”しっかりお姉ちゃん”になってる事が僕の中での感動でしたね。
まだ、生まれて今日で十数日しか経っていないけど、夜泣きも特にないし、表情も豊かで(単なる親バカな見かたですが・・・・(照笑)毎日の沐浴当番(お風呂当番ね)が楽しい今日この頃を過ごしてまぁ~す♪
なんて、お気楽な毎日を過ごしていたのですが、家族の中に変化が!!
「みんな、なんなの?どぉ~しちゃったの?この子誰よん?」って、ヨーキーの「ちびまる」に変化がぁ~!
かえでが泣くと、初めて聞く赤ちゃんの泣き声に、吠えていたんだけど、あまりにもみんなに「ちびまる!しぃ~!ですよん。」って言われて、もはや、何があっても吠えないちびまるになってるんですが、一番のとまどいを見せたのが「ちびまる」だった事に驚いています。犬ってこんなにヤキモチ焼きだったのねぇ~(驚)
もう、今まで道リにいっぱいかまって遊んでいるのですが、心無しか前より甘えん坊になってる様な・・・・・・。
唯一、あかちゃん帰りしたのが「ちびまる」ってゆうのも我が家っぽくていいんですけどね(笑)
え~さて、改めまして、ですが、今年の11月1日に野村義男に次女が無事に誕生した事をこの場を借りて報告です。家族が1人増えて、ますますがんばらなくてはいけないなぁ~。って思う今日この頃ですが、やっぱりマイペースでやって行くと思いますので、これからも、よろしくお願いします。

2005年11月吉日

今年もおかげさまで誕生日を迎える事ができそうです。
ありがちょうございますねん。
とうとう確実にジョン・レノンより年上になってしまいましたぁ~(汗)
そ~んな今年の誕生日ですが、家に一通のハガキが届きまして、見てみると、な~んとピーポー君の所からで「今年は免許の書き換えだよ~。」の、お知らせだったんだけど、免許書き換えの指定警察まで、近距離の僕としては、やはり望んでいるのは、もちろん、違反など無しの人がすぐに手続きできる、警察署での書き換えなのね。
もちろん、違反など記憶に無いから、余裕のよちをは、なんとも器用に出来てる3枚におろす事のできる、そのハガキをハジっこからめくってみたさぁ~。
ジャ~ン。
「2時間の講習を受けに最寄りの試験場まで来ちゃいなさぁ~い。」
そして、君がやっちゃった違反は「指定区域外走行・・・・・・違反」って、なんだか漢字がいっぱいの、なんだっけっかなぁ~?って思ってたらさ、2~3年前までさかのぼって記憶が鮮明に蘇ったさぁ~。
そう、ある年が明けた1月の大安吉日のめでたい日に、友達の結婚式に呼ばれて、普段はほとんどお目にかかる事の無いスーツを着て、初めての会場に向かって運転中~。
ん~、どっちなんだぁ~?こっちかぁ~?あらら~?地図だとぉ~、こっちに向いて、右が・・・・。で、左側には目印の建物があって・・・・。
あっ、なんだか、ちょっち、通り過ぎちゃってる感じかぁ~。
じゃぁ、後ろに少し戻りますかな。おっ、大きな交差点発見。
そこで、Uターンしたら、会場はすぐっぽいなぁ~。ウィンカーを右に出しておいて、信号は青になったから、ぐる~んと回ったら、Uターンと同時に白バイが丁寧にサイレンと共に止めてくれて「ここね、Uターン禁止だったの、ジャンジャジャ~ン」って、ウィンカーまで出してたんだから、先に言ってくれたら、Uターンしなかったのにぃ~(涙)
なぁ~んて思いながらも、時間も無かったので、とりあえず、切る物は切ってもらって、ここの会場どこっすかぁ~?って白バイ・ライダーにお尋ねしたところ、丁寧に教えてくれて、無事に会場入りした時の”Uターン禁止場所違反”じゃ~ん。って記憶が蘇ってきたわけ。
でさ、2時間の講習~って面倒くさいし、行く日もスケジュールの合間をぬって、どの日に行こうかやら、なんだかなぁ~、もぉ~。
なぁ~んて思いながらも、毎日、車で移動する仕事で必要な免許証ですから、行かなきゃ~。ってわけで、朝、早起きして行って来ました試験場~。
なんだか、数千円の切手を買ったり、目の検査、写真を写したり・・・・。
さぁ、あとは一番の難関?(寝ない様にしなきゃ~)教室に入ったら、女性の教官で、でも、女性だからといって、甘いわけではないんだけど、先にビデオを見たりして、もちろん講習なので、色々な交通安全の話を教室のみなさん(きっとほとんどが誕生日近い人だから、同じ日の人何人いたんだろ~?)にも、発言させながら(!)、教室の中に居る人全員がコメントを残すって言うこりゃまた緊張感あふれる講習だったの~。
もちろん僕も一言コメントはしたんだけど、順番が近づくにつれ、頭の中では、どぉ~しよぉ~、ここでウケ狙ったら怒られちゃうのかなぁ~(汗)などと考えながらも、すっごくいつの間にか、全員の気持が2時間講習に参加をしてて、最後は素敵な拍手までしてる自分がいました。
行く前に面倒くさいなぁ~とか、いやだなぁ~。って思ってた自分はいつの間にかその教官の2時間のライブのおかげで「よかったなぁ~また話し聞きたいな~」って思ったまま、終われて、想像だけじゃなく、ちゃんと参加すると、全ては素敵に変わるかもよ。ってゆうのを、誕生日前に体験できましたぁ~。教官に感謝。
この1年も充実で自分に納得行く仕事や出会いがたくさんあったから、新しい1年も更にマイペースで(最近は少しハイペースぎみ?)慌てず、欲張らず、お気楽に行きたいと思います。この1年もまたまた、やらしくおねが・・・・・。
ん~、よろしくおねがいしますね(笑)
そして、みんなも交通安全を♪

2005年10月

行って来ましたアメリカ~♪
去年に続き、2度目のツアーって事もあってか、そんなに不安も無く、飛行機に乗り込んだんだけど、実は「あれ?こんなに着くの早かったっけ?」って思うくらい、近くなってましたねぇ~。
お馴染みのインディアナポリスってゆうのもあって、空港を降りて、滞在の街に着くまでには、懐かしい風景や町並みを見ながら「おっ新しいお店ができてる」とか余裕を見せながら、約1時間くらいで到着したんだけど、ん?車は去年と違う”家”のガレージへ。
「今回はここがみんなの”家”です」ってデビッドに言われるがまま中へ。
家具なんかはあるんだけど、空家を1件メンバー用に用意しててくれて、今日から自炊生活のはじまりですのぉ~。
飲み物や食べ物を買いにダウンタウンに行って、しこたまビールと水を買い込んで、やっぱりお決まりの楽器屋さんに行って・・・・・。
街の楽器屋さんには3~4件行ったんだけど、それぞれの店長さんが覚えててくれて「ヨシオ、今年も来たべな」って歓迎してくれたりして「ファイアーのギターは元気かい?」みたいな会話がありつつも、今年はこんなのどうだい?って日本円で250万円とか350万円のギターを弾かせてもらったんだけど、僕らは今日から自炊生活に追われる生活なんだから、無理よ~。なんて思いつつも、帰りには2本程ギターかかえて帰ってきちゃいましたぁ~(笑)
もちろん買ったのは、そんな高いギターではないので、念のため(笑)
一応、今回のメインイベントは9月10日にTerre Hauteってゆう街で行われる”Blues at the Crossroads Festival”の出演だったんだけど、それまでに3ケ所でライブの毎日だったのね。
インディ(インディアナポリス)には演奏できるバーやお店がいくつかあって(まぁ、アメリカってゆう全土がそうだと思うんだけど)今回は始めてのお店なんかでも演奏してきましたの。
それぞれに対バンがあったりして、そっちのバンドのギターリストが「お前を知ってるぞ。去年ライブ見たじょ~」なんて言われたから「マジかるぅ~?」って日本語で言ったら、やっぱ通じなかった~(笑)
けっこうお客さんも知ってる顔がちらほらあったりして、また来て来れてるなんて、うれしいなぁ~。って気持ちがけっこうあったかな。
でもね、毎晩の様にライブが終わって”家”に帰ってくると、必ず!現地のアメリカのスタッフが僕らの”家”を襲撃してきて(笑)「おいおい、まるで水みたいにビール飲むなよぉ~、自分達用に買ったのにぃ~(涙)」なんて、思いつつも、一緒に朝まで飲みまくりなわけ。
何せ寝ないから、おかげで時差ボケもほとんどなく過ごせたんだけどね(笑)
そんなこんなで、毎晩のライブもこなして、残すはブルースフェスのみで気持ち的にはどの位の規模のフェスなのかはわからないで行ったら2万人とか集まるやつで、聞くと、近所のホテルなんかは「空き部屋無し」な状態とかって言ってたから、思いの他すごいやつなんだなぁ~。なんて改めて思ったりして、そばのビルの窓に足を投げ出して見てる人がいたり、屋上から見てる人とか、なんか30年位前のロック魂を感じたなぁ~。僕は客席や横から、他のバンドのステージを見たりしてたの。
中にねトリオのバンドで、ジミヘンのカバーやオリジナルもなかなか僕の好きなタイプの曲をやってる人達がいて、ライブ終わって、バックステージに居たら、何げに「いいバンドですねぇ~。あなたのギター好きですじょ~」って話しかけたのね。
そしたらその人が「去年、君のギターは聞いてるよ。僕とスタイルがにてるギターだね。君のプレイも好きだじょ。」なぁ~んて話しになって、え~っ、どのお店~?なんて話しで盛り上がったりして、思ったよりアメリカって狭いかも~(笑)とか、感心してしまったぁ~♪
僕達のステージもフェスだからといって、特にスペシャルメニューではなくていつも通りにやってたんだけど(リハーサル、打ち合わせ、曲順、すべて無しね)だんだんお客さんがヒートアップしてきて、踊ってる人が増えた頃、デビッドが「日本から来たギターリストにも歌わせるだべ~」みたいに言い出して(まぁ、いつもの事だけど(汗笑)そしたら耳打ちしてきて「Crossroads Festivalなんだから交差点の歌、唄えよ(笑)」とか、ギャグにもとれない事を言ってきたのよ(悩)
なんだよそれ~。僕はもし”歌え”って言われたら、違う曲をやろうと思ってたんだけど「まぁ”旅の恥じはかき捨て”だぁ~」って日本人が”十字路祭り”をやってる”交差点”で”十字路”って曲を歌っちゃってもいいかぁ~(照)もぉ~、始めちゃえ~。
って始めたら、残りの座ってた人達が”どぉ~”って立ち始めて、踊り始めて、なんか”歌うの恥ずかしいなぁ~”って思ってた”自分”がハズかしいんだなぁ~(照)
なんて、ギターもいつの間にか多めに弾いたりしてて、最後はたくさんの歓声をもらって、いい気分でライブ終了したら、デビッドの所にわざわざ市長が挨拶に来て、デビッドもいい感じだったみたい。
その後はちょっと他のバンドのメンバー達からも、色々話しかけられてて、乾杯と握手の嵐でしたねぇ~(喜)来て良かったなぁ~。
今回のアメリカは、会場に来る前に初めて寄った楽器屋さんのギターのストック(数も内容も)の凄さにも驚いたし、去年出会った人達が覚えていてくれた事や(人によっては名前まで!日本語の名前、難しいだろうにねぇ~)ライブ中に目のやり場に困ったり(笑)ちょっと、久々に刺激になる事が多かったアメリカになったと思いますです。
時間があると楽器屋さんか買い出しに行っちゃう僕らだったんだけど、今回は初めて”観光”なることを最後の日にインディで”CONNER PRAIRIE”ってゆう博物館?にデビッドが連れて行ってくれたんだけど、これがまた強烈に人生観を変えましたねぇ~(笑)
その話はまたまた長くなりそうだから、いつかまた。
日本からアメリカに行っても時差ボケが無かったのに、帰ってきて時差ボケに悩まされてる今日この頃です。ただいま。

2005年9月

ただいま、夜の12時半。
今日は昼から、ある計画を実行をくわだててみました。
近所のスーパーへ買い物に行って、598円の「海鮮ちらし」を買って、冷蔵庫へ。
夜の8時位から、僕の携帯サイト”凄音ギター職人”の録音を始めて、この時間まで自宅のスタジオに隠りっぱなしで、数曲録音すると、そろそろ集中力も限界に近づいてきたので、今日の作業はここまでに。
家族も寝静まったこの時間、小腹もすいてきて、昼に買った「海鮮ちらし」を食べる事に。ん?この時間に食べると、またまた危険な体型に・・・・(笑)でも、そんな事、今日はお構い無しで、冷蔵庫のドアを開けて「海鮮ちらし」を出して・・・・。
僕の手のひらに乗るくらいの小さな入れ物の中には、イカ・マグロ・いくら・かずのこ・などがトントンって乗ってるのね。真ん中には”しそ”が敷いてあってその上にティースプーン1杯ほどの”いくら”が乗ってるんだけど、さぁ、ここからが計画していた題して「贅沢な夜食をみんなが寝てる間に食べてみたぁ~い!」作戦でごじゃいます(笑)
思いのほか具に費用がかかってるせいか、小さめなんだけど、598円もする「海鮮ちらし」だけでも、夜食って考えたら、十分に贅沢の領域なんだけど、更にもう1品、冷蔵庫から取り出したのは、先日"a-nation"で北海道に行った時に買ってきた「醤油漬”いくら”」を一緒に取り出して、ちらしの具が見えなくなるくらい上にトッピングして時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、食べたんだけど、これがまた、うまい事、うまい事(喜)
なにせ、598円の上に4000円位した”いくら”を乗せてるんだから、美味しくて当たり前なんだけど、きっとそれなら炊きたてホクホクのご飯にのせて食べたほうが美味しいんじゃない?なんて考えてる人が居ると思うんだけど、そぉ~ではなくて、僕は”美味しい”が目的じゃなく「贅沢」をしたかったの~(笑)
598円に4000円をたっぷりかけて食べてみたかったのざんす~。
まっ”ちいさな幸せ”なんだけどね(笑)
なんか”ちいさな幸せ”といえば、プリンをそのままカップで食べるんじゃなくて、お皿の上に、プッチンするだけで”ちいさな幸せ”を感じれたり、チキンラーメンにたまごを乗せる事は「贅沢」だったりしなかったぁ?
さてさて、おなかも満足したところで、作業に戻るとしますかな。
まだ、2~3時間は寝たら危険だもんねぇ~(笑)
ではね、夜食に付き合ってくれてありがとう。んじゃねぇ~♪

2005年8月

夏休みも近づいて来ると、子供達もソワソワしはじめたりするんですが、逆に大人達は何だかイライラ・・・・・。まだ、学校に行ってる時間はいいけど、休みになったら、1日中ゴロゴロとか、テレビ見てたり「どっか連れて行け~!」攻撃やら、その割には、夏休みの宿題はしないし、休みが終わりに近づくと慌てて「どぉ~しよぉ~、手伝って~、手伝って~」攻撃に、親側はイライラモード全開で「だぁ~から!休みのうちに時間がある時にやりなさ~い!って言ったでしょ~!テレビ見てゴロゴロ、ゲームなんかに一生懸命なのを、少しでも勉強に向けてくれたらぁ~!あぁ~ぁ、小さい時はかわいかったのに~」などと、思わず、心の声が表立って出ちゃうんだよねぇ~。そんな事ない?(笑)
でさ、僕が思う事なんだけど、そう言ってる過半数の親のほとんどが子供の頃に、宿題やら、勉強で、悩んだり、宿題が間に合わなかったり、子供ながら困った経験があるから、自分の子供には思わず「勉強しなさ~い!」「宿題はぁ!」ってなセリフを言っちゃうんじゃないかと思うんですのよん。自分が苦労した分ね。もしくは言われた分ね(笑)
でもさ、言われるとさ「今、やろ~と思ったのに、やる気なくなっちゃったぁ~」とか、ささいな反抗もしてみた記憶はない?
例にもれず僕の親もそうでした(笑)ただし、一応、言うだけは言うんだけど、それを何回も言ったりとかは無かったと記憶してるのね。
ほとんど「勉強しなさい」のセリフを自分の親の声で思い出せない。って事は、あまり言われなかったからだと思うの。
かと言って、僕は勉強なんて出来る子供でも無かったのになぜでしょ~?
ここまで読んで、自分の子供の頃に聞いた、一番思い出せる親のセリフってなんだった?
僕はね「家の中にばっかり居ないで、外に遊びに行きなさ~い!」だったなぁ~。
もちろん僕の子供時代はテレビゲームなんて無いし、今みたいに物騒な事件もほとんど無い時代だったからなのかもしれないけど、ほとんど「勉強しなさい」コメントをされていない僕は自分の子供にも「勉強しなさい」を言った事ないんですの。
しかも、奥さんの口からも「勉強しなさい」コメントは聞いた事ないんですの~。
でも娘さんは自分から宿題はやるし、もっともしっかりしてるかもね。
僕は、小学校の5年生位からギター触りだして、中学生の頃はギターに夢中になって、ご飯の時間でもギター弾いてて怒られて(笑)
お風呂に入るのも、トイレに行くのもギターと一緒で、受験が近いってのに、勉強しないで、ギター弾いてて・・・・。そりゃ~それが自分の息子だったら、怒るのも当然ですが・・・・・(笑)
もう一つ、親からの言葉で残ってるのは「音楽なんかで食っていけるハズないんだから」ってゆうのは何度も耳にしましたにゃぁ~(照)
今さらながら反抗期の僕は「くっそぉ~、ギターで食ってやるぅ~」って頭のどこかで今でも思ってるに違い無いのですのよん。
だからこそ「手放す勇気」と「続ける勇気」で今日もギターを弾かせてもらえる場所に生きてると、思うんだよねぇ~。
「勉強しなさ~い!」って言わなくても、子供なんて友達を見て危機感とかを感じたら、自分から勉強すると思うから”勉強ってイヤな事だなぁ~”って思わせるコメントはしなくてもいいと思いますよん。ほとんどの子供はそんなに自分の人生に無責任じゃないと思うから。ねっ。
学生時代に音楽の成績がほとんど1か2だった僕は今、不得意科目の音楽で食っていってますから。
これもどこかで、親に反抗してるところから来てるかもね(笑)
自分の子供の記憶に、親の声の思い出は何にしたいですか?
僕はぜったいに「勉強しなさ~い!」じゃイヤだなぁ~(笑)

2005年6月

先日、ちょっとした質問を受けました。
「よく、そんなに色々なバンドをやってて、グチャグチャになりませんねぇ~?」
って。ん~、そぉ~いやぁ~、今だけでも、10個位のバンド(自分のも、お手伝いも含めね)をやってるんだけど、1っがツアー中に、違うバンドのツアーやらセッションやら、レコーディング、なんかが入ってきたりするんだけど、友達のミュージシャンは、2~3が限界~。って言ってたのを思いだしたんだけど、意外に出来ちゃうもんだったりするかも~(笑)って事で、改めて自分の頭の中をのぞいてみましたぁ~。
ライブによっては、譜面台を置いたり、歌詞を置いたりしてる事もあるんだけど、僕はできれば見ないで、やりたい人なんざんす。
って~事は、覚えなきゃいけなかったりするのねぇ~(汗)
ただし、譜面があっても、曲は結局、把握してなきゃ弾けないから、見てても、覚えてるんですのよぉ~。
でも、さすがに10個のバンドの曲を全て覚えるなんて、とうてい不可能だったりするわけ。じゃ~、どうしてるのかと言うと、ここだけの話し、実は全部、覚えてないんですの~(笑)がははは~(爆)これ本当~(笑)ん?意味わかんない?
説明するとね、例えば、あゆちゃんのツアー中に、ライブが無い日に楽器屋さんとかで「あゆの、あの曲弾いて下さいよぉ~」なんて言われても、90%弾けないんだよねぇ~(悩)他のバンドもそうなんだけど、その現場(ステージ)に行って、そのメンバーで音を出さないと、弾けなかったりするわけなの。
もぉ~、営業時間外はどんな商品がお店に並んでるか、わかんない感じ~(笑)
だけど、去年、おととし、なんかは、グッバイを十数年ぶりにやってるじゃない。
その時は、特におさらいもしないで、(聞き返す時間も無かったんだけど)リハーサルのスタジオに行ったのね。
そしたらさ、あら?不思議。4人が揃って音を出すと、勝手に指が動いてるのよん(驚)70%位の確率で、こんなにも何年間も弾いてなかった曲なのに、弾けるもんなんだなぁ~。って、逆に自分に感心してしまった位だもん。
どれだけ時間が空いていようと、身体に入ったものは、ある程度、呼び出せるって事なのかなぁ~。
って思ったら、大間違いでごじゃいまして、若い頃に覚えた曲は今でも弾けるのに、ここ数年で覚えた曲は、あっ!って言う間に忘れちゃうんだよねぇ~(悩)で、全部覚えて無いって話しに戻ると、人間の(僕の?)覚えられる許容範囲は確実に決まってて、新しい何かを覚えると、覚えていたハズの何かを、忘れる仕組みになってて、例えば、あゆちゃんのツアーが終わると、そのツアーのギターのパートをほとんど次の日には弾けなくなっちゃうの(驚笑)で、半年後とかにまた、ツアーが始まるとするじゃない?その時はね、全曲とも、1から覚える感じなのよ~(驚笑2)マジ、マジ、マジデバビデブ~(笑)もちろん他のバンドも例外ではなくて、世良さんの GUILD 9もそうだし、RiderChipsにしても、そうなんですもの~。David BAND に関しては、実は曲を覚えた記憶さえ無いかもぉ~(笑)でも、アメリカ・ツアーしちゃいました~(驚)みたいに、ふだんは家でギター触ってる時になにげに弾いてるのは、やっぱり、中学生~高校生あたりに弾いてた、ツェッペリンだったり、ジミヘンやクラプトンとかなんだよねぇ~(笑)
つねに頭の中に曲を覚えていたら、日常生活できなくなっちゃうんじゃないかなぁ~?
普段は普通の年期の入ったお兄さんと同じ、家族の事や、通帳の残高やべぇ~(汗)とか、えっちな事や、遅刻の言い訳なんかを考えて毎日過ごしてる今日この頃ですのよぉ~(笑)あっ、あとはギターの事ね。弾くほうじゃなくて、見て楽しむほうね(笑)
今年も色々なライブがあるから、がんばって毎回覚えなきゃ~(汗)
それにしても、脳って本当によくできてるよねぇ~。
ん?今いくつのバンドやってるんだっけっけかなぁ~?
それさえも覚えて無い!?がははは(笑)なんちゃって~(爆)
ん?ん?ん?・・・・・マジでなんだっけっかっあ~(悩)

2005年5月

卒業、入学と、桜の季節になりました。
僕の人生で、入学(入園)卒業(卒園)と、4回づつかな?体験してきたんだけど、覚えてるのはどちらかと言うと、卒業の方ばかりなんですの~。
卒業ってさ、次のステップや新たなる可能性に向かう為の第一歩と考えれば、ワクワクやドキドキが待ってる感じで、がんばるぞぉ~!ってなるんだけど、それはそれで素敵なことじゃないですか。でもね、その時の同級生だったり、先生だったり、フルメンバーがそののちに会う事ってほとんど無いんだよね~。
仲のいい友達とかは会う事もあるだろうけど、ほとんど話しもしなかった友達や、もちろん苦手な友達も居たと思うんだけど、そ~ゆうみんなが揃って、教室って成り立ってたんだなぁ~って、ちょっと最近思ったんだよねぇ~。
卒業して、社会に出て、忙しい日々を送って、覚えなきゃいけない事や仕事に追われて、ふと気付くと、けっこうな年月が経ってたりして、そんな時にテレビで♪あ~お~げばぁ~とお~とし~♪を聞いた時に、昔が蘇ったりして、その頃の自分を振り返る事ができたの。本当にいい曲だよ~。
僕は、勉強は嫌い&苦手で、友達にも本気でぶつかってなくて、将来の夢も特に決めてなかったり、そのわりには、好きな子がいたりして、将来はこの子と結婚して、この街に住んで・・・・。
そんな事を考える時だけは現実っぽかったのに、実際は違う街に住んで、同級生とは結婚してなかったり、バイク屋を継ぐと思っていたはずなのに、好きで触ってたギターが、一生離れられないパートナーになり仕事になり・・・・・。
きっと同級生達もそれぞれの道を見つけて、毎日過ごしているだろうし、でも、2度と会わない人もいるんだよね。それも卒業式を終えた時にそれぞれの違う道を歩いて行く。ってゆうのを考えたら、卒業式って本当に大切で僕はほんの4回しか体験してないけど、毎年体験する先生達って、辛い職業だなぁ~。って思うと同時に、なんで卒業式の連習やら、卒業文集、アルバム製作、送辞の言葉・・・・。
どんなに厳しい先生も、やさしい先生、恐い先生、楽しい先生、生徒達からは悪口を言われてた先生、若い先生、年輩の先生、みんなから好かれてた先生も、その卒業生一人、一人、を学校からちゃんと送りだす為に本当に一生懸命にがんばってくれてたんだなぁ~。って、今さらだけど、感謝してしまったんだよね。
生徒達だって、勉強が出来る、とにかくうるさい、静か、積極的、消極的、いつも一人で何かしてる、とにかく群れる、反抗的、気難しい・・・・・。
色々な子供達が居るのに、全員を見てくれてるですよ。凄いと思わない?
手のかかる生徒や問題を起こしがちな生徒なんかは、もしかすると、もっとも卒業と共に一番心配してくれるのは、一番怒ってくれた先生だと思うんだよね。
その点、僕は問題を起こす派ではなくて、きっと人前に出る仕事をしてなければ「あいつ、同じクラスだった?」系の生徒だったと自覚しているんだけど(笑)前に小学校の頃の先生と話をする機会があって、話ししたら、僕のちょっとした事を覚えててくれて、驚いたのを記憶してます。
先生って本当に、一人、ひとりの生徒の先生なんだなぁ~。感謝。
教え子を社会に送り出す為に、年月をかけて卒業式の準備をしてるんだなぁ~。
学生の時は気付かない事があり過ぎな事に気付いたこの春です。
「卒業式が来れば、もう学校に行かなくていいんだ~!いぇ~い!」って少しでも思った事のある自分がかっこ悪いです。
卒業式がきたら、その時のみんなとお別れです。
卒業生のみなさんおめでとう。みなさんに素敵な未来を。
在校生のみなさん素敵な学校生活を。
親が知らない僕らを見ていてくれたた先生方ありがとございました。
♪あ~お~げ~ばぁ~とお~とし~わが~師の~恩~♪

2005年3月

あのね、ちよっとお仕事の話しをしたいと思いますの。
たわいもない話しなんだけど、よく色々な人に「芸能人ってさ、普通の生活できるの?」とか「あまり、街とかに出れないでしょ~?」な~んて、質問をされたりするんだけど、その人、その人、そのミュージシャン、その芸能人、によって生活感は違うとは思うのですが、僕の場合は近所の(同じ街)人達には、飽き飽きする位、普通の通行人の一人として(「また、歩いてるぅ~。」みたいな?笑)見られてる位、地域密着型一般人ミュージシャンだと思うんですよん(笑)なんかさ、こ~ゆう仕事をしてると、すごく特別だったり、特殊だったり、に見られがちみたいなんだけど、僕なんかからすると、サラリーマンも自営業も、とにかく自分の知らない世界の人、みんなをスペシャリストに思ってたりするんだよねぇ~。だってさ、僕らは人前で演奏したり、テレビに出たり、CDとか作ったり、が仕事だからやってるわけなんだけど、それを支えていたりするスタッフが居たり、スポンサーが居たり...。
自分だけではきっと何も出来ない仕事だったりするのかも~。
それを思えば、何かの達人にならないと出来ない事ってたくさんあるよねぇ~?
そっちのほうが凄いな~。って思うんだよねぇ~。
なんか最近は、昔に比べて、テレビとかに出る人になれるハードルは少し低くなってる気がするし...。ならば、なおさらテレビとかに出るというだけで、特殊職業に見られるのは、苦手なのです。
まぁ、僕の場合、子供の頃からの延長で、今日まで来てしまった感もあるんだけど、何か資格を持って、仕事をしてる人のほうが、本当にすばらしいと思いますぞぉ。
あとね「好きな事を仕事にできて、いいですねぇ~」なぁ~んて、事もたくさん言われるんだけど、それはそれで、そうとう辛い事もあるんだじょ~(笑)
本当に好きな事だけをしてたら、仕事にならないし、趣味が仕事になってしまったから?趣味になってしまうし、ギター弾けば弾く程、どんどん壁にあたるし、でもその壁を避ければ、仕事は無くなるし「僕はこんなジャンルが得意なんで、これだけでお願いします。」
なぁ~んて、言ったら、たぶん仕事無くなっちゃうし(苦笑)
華やかに見えるこの仕事で実際に成功して、生き残って行く人も限られているし、仲良しだったり、知り合いが、リタイアして故郷に帰って行く辛さもたくさん見て来て、いかにここで、自分を見失わないで、流されないで、生きていくのが大変な事かって、いつも危機感を感じてたりするのね。
特に、大金を手にしてるなんて思われるのは、大間違いで、実は毎日毎日、コツコツと小さな仕事も大きな仕事につながる掛け橋になればいいなぁ~。って思って、がんばってるのが、現実ですのよん。
ただし、僕的には、テレビとかに出続ける仕事ではなくて、表舞台もあれば、裏方もある。ってゆう、ミュージシャンという仕事をメインに活動して行く人生を選択して、本当に正しかった。っていう思いがあります。
今だに、仕事的に、調子がいい時も、悪い時もあるけど、それを選んだ自分に自信を持って行きたいのね。きっと、どんな仕事でもそうだけど"自分がやらなきゃ""自分だから"って思ってがんばれば、どんどん楽しくなっていくと思うのよん。
もちろん、他の人がそのポジションをする事が出来るかも知れないし、叉は、交代する事もあるかもしれないけど、それまでは、責任持って、しっかりやれば何か得る事が出来ると思うし、次につながって行くと思うんだよね。
どんな職業でも、一生懸命の人は輝いて見えるじゃん。
世界中の社会人がんばれ!野村義男も、もっとがんばってみせろ(笑)

2005年2月

2005年あけましておめでとうごじゃります。
さてさて今年の野村義男ですが、2005年の豊富でも決めなきゃいけないなぁ~。って思ったのですが、うまくまとまらないので、気持ちの中であこがれてる(笑)事をこの一年の信条としたいと思いマッスルです。
2005年、野村義男は
「気楽に、てきとうに、楽しく」
これで行きたいと思いますですよ?(笑)
目標は、笑ってるうちに1年が過ぎる事をめざして行きたいと思いますです。
みんなにとっても、素敵な1年になります様に。
今年もどうぞ、やらしくお願い・・・・ん?違った。よろしくお願いします(笑)

2005年1月1日