2013年

ありがとう。
本当にありがとう。
1983年9月1日に"THE GOOD-BYE"としてデビューして、30年。
活動は7年間。
でも、バンドは辞めなかった。
「解散」って言うケジメも、何度も考えたんだけど「解散」はできませんでした。
何故なら、今日もギター弾いて、野村義男は生きています。
周りの人に「音楽・・・ましてやギターで食って行くなんて無理だって」本当に沢山の人に言われました。
ましてやアイドルあがり・・・。
「タレントや役者になった方が安パイだって」
なんで?
前例が無いから?
お決まりの流れでレールに沿って生きて行くなんて、まっぴらご免でした。
だって、ギターを知った時から「これ」で生きて行こうって決めたから。
今は、ここにたどり着くまでに、本当に色々な事、辛い事、哀しい事。
聞こえないフリや、知らないフリ・・・、たくさんしてきました。
おおよそ多いのは「元ジャニーズの・・・」とか「たのきんだったんでしょ・・・」
さぁ、どうしましょう?
ジャニーズ事務所に居た事がマイナスになるミュージシャン業界なのか・・・。
でも、あそこの事務所に所属してる殆どがいわゆるエリートなんです。
教育は受けてません。強制的レッスンもありません。
その人が生まれ持ってきた素質を延ばす事務所なんです。
誰でも入れる場所じゃないんです。
いくら勉強したり、綺麗に見せようが、見抜かれてしまいます。プロの事務所ですから。
やっかみで言う人が居ます「だってジャニーズだろぉ~」そう言う人こそ、ぜひ体験させたい感じがします。
厳しいとか、そんな事はありません。本質や才能、素質とやる気。
本当に素晴らしい、選ばれし者しか居ない場所なんです。
そんなジャニーズ事務所で「バンドでデビューしたい」と、申請しました。過去に例はありません。
でも、返答は「わかった。やってみなさい。」前向きの気持ちを延ばしてくれました。本当に感謝しています。
ギターを弾いて毎日を過ごしています。
あれから30年経ってもギターを弾いて生きています。
ジャニーズ事務所を辞めて20年以上経ちますが、ギターを弾いて生きてます。
あの時バンドでデビューしたい気持ちに「OK」をしてくれたから、2013年11月17日に国際フォーラムでの
「THE GOOD-BYE 30Tth ANNIVERSARY LIVE ~TAKE OFF~」を開催する事が出来ました。
ただ残念なのは、加賀八郎が演奏していない事。
でも一緒がいいんだ。
だってメンバーだもん。一緒に30th だろう?
あいつさ、死ぬ幾らか前に連絡して来て「義男さ、ベース売ってきてくんない?重くて弾けないから、軽いベースに買い替えようと思ってるから。」
ヤツのベースを売りに行く事を承諾しました。だってさ、あいつはまだ弾きたいんだもん。
本当は売りたく無かったんだけど、楽器屋に運んで売ってきました。そのお金で重量の軽い「ヘフナー」を買って「これは持てるよ」って言ってたんだけど、
僕の中では”THE GOOD-BYE”の歴史を、想い出を処分されたみたいで、イヤだったんです。
加賀八郎が亡くなってから、今回の30th ライブのパンフや色々な打ち合わせは加賀家で行ないました。
ぱっっあんの部屋に残ってる楽器のチェックを彼の奥さんとした時に、分った事・・・。
あいつね"THE GOOD-BYE"の時に使ってたメインのベースは売らずに置いてあったの。
ふざけるなよ。どこまでかっこいいんだ。
このベースをステージに連れて行くから連れて来て。11月17日ね。奥さんに伝えました。
国際フォーラムにあったベースはそれです。
でも、楽器はあっても加賀八郎を一緒のステージに行くにはどうしたらいいんだろう?
ライブのオープニング。みんな、ミリタリーの衣装を着てオンステージしました。
僕が着ていたミリタリーは、加賀八郎の衣装です。一緒のステージに上がりたかったから。
みんなありがとう。
本当にありがとう。
素敵な30周年のライブがみんなで出来たと思います。
ライブの時の「泣き虫」はごめんなさい。泣かないって決めてたのに、僕を泣き虫にするのは、みんなからの「愛」でした。
あっ、遅らばせながら、誕生日のコメントやプレゼントありがとうございました。
誕生日どころか、色々とテンパっていたので、コメントが遅れてごめんなさい。
49歳もやらしくおね・・・よろしくお願いしますね。


2013年11月18日

ねぇねぇ、毎日の生活の中で、あなたはどれだけのこだわりを持って、日々過ごしていますか?
よちをさんは「仕事」と言うカテゴリの中で「道具」は、やはりギターなので、ギターへのこだわりは、日本一とは言いませんが、せめて5本の指に絡まる位な気持ちでギター触れていると自負しております。
ただし「道具」って言う気持ちが無いので、ギターに関しては「人生のパートナー」的なポジションになっていますね。
30数年前に華々しくテレビや映画に出ていた時にも、カメラやテレビ局のスタジオはほとんど刺激や影響は僕には与えてくれませんでした。
それよりも奥深く僕に浸透してきたのは、音楽であり、楽器でありました。
小学校5年生の時に初めて触れた楽器「ギター」が、この年齢になるまで、これ程までに刺激を与えてくれるなんて思いもよらぬ事件ですから、出逢っちゃった感じなのかもですねぇ~。
「プレイヤー」と同時に「コレクター」でもあります。
でもね、1度に弾けるギターは1本であります。
ですが、コレクター魂は何本も僕に語りかけて来るので、気がつくと数百単位で色々なギターが野村家に「嫁入り」してきました。
その流れで「ギターちょうだいよ」とか「欲しいなぁ〜」とか言って来る人がいるのですが「はぁ?意味が判りません」な、状態なのね。
だって、よちをさんは「ギターを買う為に仕事をしてる」ですのよ。
変な言い方をするけど「ギターを弾いて、稼いだお金でギターを買って、余ったお金で生活をしてます」これが、僕の人生です。
もちろん、こんなバカちんな、よちを様にも家族がいます。
でもね、そこに支障を出さずにギターが中心で「行きている」んですの。
例えば「洋服が好き」「車が好き」「グルメなんです」・・・。
人の価値観なんてそれぞれだから、全て正しいとは思うのですが、あなたは、一生をかけて好きになる物がありましたか?
よちを様はそれがギターだったので、そこに向かって生きています。
ギターなんか好きにならなければ「大豪邸」に住んでいたかもしれないんだけど、それは望んだ人生では無かったんだろうなぁ~。
それとか、高いギターを買ったら終了~、なぁ~んて言う、ぬるま湯の人には「いいギターが行きません様に・・・」って密かに思ってる今日この頃であります。
車、もしくは家やマンションと同じ金額のギターを買う勇気が、有るか無いかです。
それを「本気」と言います。
あなたは、人生を委ねる事の出来る「道具」に出逢いましたか?
たかかがギター、されどギター。
きっとさ、夢中になれれば何でもいいんだと思うのね。
それを本気で好きになれれば。
よちを様が16歳の当時「将来はミュージシャンになりたいで〜しゅ」って公言した事があるのだけれど、あの時にただギターが好きで、何も考えずに言ってしまった義男くんの言葉を形にすべく、
よちを様が「有言実行」中であります。
ある意味、今だから言えるのかも知れないんだけど「ギターで食う」なんて、本当に無謀な挑戦であります(汗)
でも、ここまで読んでくれた「あなた」が、気を止めてくれたギタリストは、人とも自分とも戦ってきてきます。
まだまだギターを弾かさせて下さい。
そこにしか生きる道を造りませんでした。
作品をたくさん残す仕事をしています。
なんて素晴らしい事でしょうか!
1979年ドラマデビュー、1993年バンドデビュー、そして2013年に誰が、野村義男がギターで食べているなんて思った事でしょう?
そう、その時に知っていたのは本人だけだった事と思います。
それを、つらぬいた義男くんに今「ありがとう」を伝えたいですね。
そして支え続けてくれてる、あなたに「ありがとう」です。
ねぇねぇ、どぉ〜するぅ〜?もう少し「野村義男」の人生を一緒に楽しんでみるぅ〜?まぁ、ここまで来て急に「やぁ〜めたぁ〜」なんて〜のは無いので、一緒に僕の人生を楽しんでいただけたら、嬉しいです。
アラフィフ!?の野村義男を、一緒に楽しんでもらえるかしらぁ〜?
これからも「マイペースで我が道系」のダメ男さんですが、よろしくお願いします。


2013年・秋

次女の晴れ舞台です。
野村家の次女と言えど、生まれた日からみんなが育てて来た様なものなので、彼女の2度目のステージですが、写真でご招待で~す。
とは言え、まだまだ小学校の低学年ではありますが、堂々とした振る舞い&演奏でありました。
何気に5万人位の前で、一人でギターを弾いた経験の父ですが、この数十人の客席で見てる時の方が緊張しましたかもなぁ~(汗)
自分と照らし合わせると、学芸会さえも仮病で拒否していた40年位前を恥ずかしく思います(照)
芸能界に憧れた事も無ければ、芸能人になりたいとも思った事も無い子供時代でした。
ましてや「有名人」なんて、とんでもない感じだったのですが、今や、人前で演奏したりする仕事をしております。
もちろん、裏方の仕事もしているのですが、やはりそこは職人が集まる場所なので、厳しい世界です。
でも、そこを選んできました。
基本的には音楽を作る場所に居られる自分を夢みていたからです。
きっと意識したのは中学生も終わる頃。
でも、高校生の頃には、音楽の現場の現実の厳しさに、見ないフリもしていました。
成人してから、逃げるのをやめて、メタくそに潰される日々も体験しました。
テレビで「ピース ♪」とかしてる小僧がレコーディングのスタジオに何しに来たのかな?的な感じもたくさんあったのですが、
僕は色々な、国の書類の職業欄に「タレント」なんて、曖昧な職業を書きたくなくて「音楽家」って書きたかったので、逃げませんでした。
いやぁ~、キツい事もたくさんあったけど、自分で決めた事を、諦めたり、辞めたりするのは、イヤだったので、ふんばりました。
でも、まだまだ完成形ではありません。
自分へのコンプレックスは計り知れない程大きくて、まだまだ勉強の最中であります。
自分と戦った事ありますか?
人に言われなくても始めた事ありますか?
理解してくれる人が居なくても、自分を信じる事が出来ますか?
ボロクソ言われても、負けない精神を持っていますか?
頂点と底辺を知っていますか?
大きな目標、ちいさな目標、どちらも叶えた事がありますか?
幾つになっても夢がありますか?
自分の都合で人にあたったりした事ありますか?
イメージした現実を何年間待てますか?
毎日、自分が生きていますか?
死ぬ日まで続けたい事を見つけましたか?
自分に何回、嘘をつきましたか?
今日も、あなたは生きています。自分の事が大好きだから生きています。
必ず笑ってる日があります。
必ず楽しい日があります。
すっごく面倒だったり、イヤだったりする日があると思いますが、それは楽しい日とか楽な日と比べるからそう思うんだと思います。
人は誰でもいつか死ぬ日が来るんだけど、それまで「自分を生きる」って決めたら、いい人生を送れるとおもいませんか?
次女の晴れ舞台です。
みんな何かを背負って生きて行きます。
ピアノは上手に弾けました。
いつか、親だけでは無く、聞いた人の心を動かすピアノが弾ける様になるかもしれません。
彼女には始まったばかりの人生が待っています。
次女の晴れ舞台です。
ピアノは上手に弾けました。


2013年・残暑

え~っと、何だか勘違いをしてる人達が居るので、あえてコメントをさせてもらいます。
11月17日に「東京・国際フォーラム」で”The Good-Bye”の30thライブを行います。
これは”The Good-Bye”デビュー30周年のライブを今年に行う、予定通りのライブであります。
ただ、2013年7月2日にベースの加賀八郎が永眠した事によって「追悼ライブ」とか言ってるヤツがいたりしますが、
そんな気は毛頭ございません。
元々、決まっていた、30周年のライブを、お祭りを、やるだけであります。
あと、加賀八郎以外のベーシストは、メンバーの中に入れません。
”The Good-Bye”のベースは、加賀八郎だけなので、他の誰かにヘルプなんかしません。
それとバンドを「解散」とかの言葉で終わらせたりしません。
ただし”The Good-Bye”のライブは最後になるかもしれません。
こんな気持ちを何年か置きに背負えるほど強い精神は持ち合わせて無いからです。
あとね、アルバムを作ります。
僕らの予定通りに”The Good-Bye”の10枚目のアルバムは作ります。
でも、すみません。
曲が作れないんです。
バンドでデビューして30年。どんな時でも色々なイメージが湧いて来て、それを形にしてメンバー、そしてスタッフ、完成した物をファンのみんなへ。
今も曲作り中です。
それが僕の仕事ですから。
でも”The Good-Bye”の曲が作れないんです。
戦ってます。
自分と戦ってます。
バンドと戦ってます。
他のバンド、ユニット、依頼、全ての曲は作れてるんです。
でも”The Good-Bye”の曲が作れないんです。
30年前に「バンドでデビューしたい」って我がままを聞いてくれた事務所に感謝と、こんな状況に追いつめられた未来に恨みます。
バンドじゃなければ、今日、曲が出来てるんです。
いくらでも湧いて来る物を形にしてたハズなのに”The Good-Bye”の曲だけが作れないで止まってます。
でも、逃げません。ここに来るまで、そんな「逃げ」の人生は、あいにく経験してないので、自分と戦ってます。
たぶん、メンバーが死んだ事どうこうではなくて、僕の頭?身体?の中が上手くコントロール出来なくなってるので、上手に心のリハビリ中です。
あ~ヤダヤダ。弱いなぁ~、俺様。
毎日、気持ちに、心に、行動に、表情に、嘘をついて生きてます。
あ~ヤダヤダ。
でもね、いつまでも引きずってるのもどうかと思ってるのよ。
さぁ、前を向いて、一歩づつ行こうと思うのですが、ここ何十年で、初めてお願いします。支えて下さい。
一人で生きていけないんです。とても不器用です。
そして、ご存知とは思いますが、すごく天の邪鬼です。
でもね、決めた事は必ず実行、やりとげます。30数年そうやって生きてきてるから。


2013年・夏

僕にアメリカのロックを叩き込んだ男が2人居ました。
一人は中村裕昭氏。
元々、ジプシーブラッドのボーカルで、The Good-Bye の頃から長き友人であります。
1週間に1~2度は必ず食事に行ってはギターと音楽の話しで明け暮れる日々を、彼が2009年1月19日に亡くなる前まで一緒にワイワイしてました。
そんなワイワイの中に居た、もう一人のアメリカのロックを、とにかく教えてくれた男が今日、2013年7月2日に亡くなりました。
今年はバンドデビュー30年だから、色々と動き始めた矢先の事です。
先月に「ごめん、再入院でベース弾ける状態じゃないや」のメール。
「あんたに弾いてもらわなきゃ困るんだけど~」メールを返しました。
最後に会ったのが6月19日。
クリーン・ルームでマスク着用の部屋でした。
「俺、いつ退院できっかなぁ~?」「退院したら、また家でさ食事会しようよ。酒飲もうぜ。」「うん。」最後の会話でした。
一番最後にバンドのメンバーになったくせに1番最初にメンバーの中で眠りについちゃいました。
いい加減にしてくれ。
あんたが1番年上で、1番最初に結婚もして、1番暴言も吐いて、1番最初にスタジオにも待ち合わせにも来てて、1番長生きするってみんなに言われてただろう。
本当にいい加減にしてくれ。
何でも1番がいいって事じゃないんだぞ。
あぁ~あ、ふざけやがって。
昨日、病室が変わったって聞いたから、今日お見舞いに行って、一緒に笑って写真撮ろうと思ってた日に死ぬんじゃねぇ~よ。
涙が止まらないじゃんか。ふざけやがって。
さっき、自宅に会いに行った時も、寝たフリしてる様にしか見えないあんたに線香しながら言ったけど、
安らかに眠るタイプじゃないだろうから、天国で、裕昭さんとアメリカンロックの話しでもして待っててよ。
どのくらい待たせるか判らないけど、酒持って行くから、一緒に飲もうよ。
The Good-Bye ベース&ボーカル:加賀八郎、あなたに出会えた事、一緒に音楽を作れた事を感謝します。ありがとう。本当にありがとうございました。
でも、死んだなんて思ってねぇ〜からな、寝たフリしてんじゃねぇ〜よ。
いつもみたいに「義男のバ〜カ」って言ってこいよ〜。
死ぬ直前に医者の背中に中指立てたあんたを尊敬します。本当に悔しかったんだな。
本当に、本当に、たくさんの愛をありがとう。


2013.7.2

新年、明け過ぎまして、おめでとうございました。
今年もよろしくお願いします。
っ~事で、2013年もギターを弾いて行こうと言う野村義男でごじゃいます。
何気にバンド・デビューから30年。
ちょいとさバンド遍歴を振り返ってみようと思いまして、ユニット物や、お手伝い系を入れちゃうと、莫大な数になってしまうので、想い出せる限りの、在籍バンド、もしくはCD/レコードを出しました。って言う参加バンド物を上げてみましたぁ~。
やっぱり、バンドとか、仲間が居るのが大好きなんだなぁ~。って、つくづく思いますなぁ~。

1979:KamiKaze
1983:The Good-Bye
1988:三喜屋・野村モーター's BAND
1990:CryBaby
1991:諸岡ケンジ/JACKBITES
1992:野村義男 BAND
1992:三野姫
1996:あ’SISTER ?
1998:FunkRocket
1999:JARGON
2000:RIDER CHIPS
2001 :世良公則/GUILD 9
2005:U_WAVE
2006:音屋吉右衛門
2006:ON&OFF
2010:話音(Wa-on)

きゃぁ〜、意外と頑張ってるかもぉ〜。でね、こんなの書いていたら今度は、やっぱりライブやツアー、テレビのバンドに参加したのも探りたくなってしまったんだけど、さすがに年代までは記憶が難しくて、イベント物まで調べると、大変な事になってしまいそうだから、こりゃまた記憶の限り上げてみると・・・。年代/名前は順不同ですが。

ジョニー吉長、小泉今日子、Chee's、浜崎あゆみ、浜田美和子、David Ralston、村上”ポンタ”秀一、ダイアモンド☆ユカイ、田村"sho-ta"直美、石月努、タバスコ・ヒーヒーズ、田中昌之、ナガハタゼンジ、JIMSAKU、墓's、The Chargebacks、BOYO-BOZO、世良公則、櫻井哲夫、ハッピーラビッツ、渡辺香津美、近藤真彦、ribbon、斉藤ノブ、小林香織、是方博邦、LoveLove All Stars、C-C-B、ト・レボン、篠原ともえ・・・etc。

たぶん、まだまだあるハズなんだけど、脳細胞の記憶がだんだんと途絶えてしまってきているので、更に参加していた物は、みなさんにお任せするとして、意外とチャレンジャーしていたのも自分を褒め称えてあげなければいけないかと(照)
でもね、レコーディングに参加した物なんか書いたら、もぉ〜ね、大変かもぉ〜(汗)
一時期、名前も出ない様なシングルCDのレコーディングとかも、すっごくしてたから、近々にその辺りのデータを書き出してみますねぇ〜。
こんなに節操の無いギタリストと遊んでくれて、アーチストの皆々様方、本当にありがとうございます。


2013年 春